第一章 最初から、分かっていた
退職金は、ゼロだった。
約十年間働いた職場を退職しても、私の手元にまとまったお金が入ることはなかった。
けれど、それを退職の日に初めて知ったわけではない。働き始めたときから、退職金がないことは分かっていた。
一年ごとに面接を受け、更新を続けながら働く。その条件を承知したうえで、私はこの仕事を選んだ。ボーナスはあったが、何年勤めても退職金はない。それは最初から決まっていたことだった。
だから、退職したときも驚きはなかった。
十年間働いて退職金がゼロであることを、当時の私は「仕方がない」と受け止めていた。自分で分かって選んだ道なのだから、今になって不満を言うのは違うとも思っていた。
それでも、退職してから自分の十年間を振り返るようになると、胸のどこかに小さく引っかかるものが残った。
毎年面接を受け、新しい部署では仕事も人間関係も一から築いてきた。辞めたいと思った日にも生活を守るために職場へ向かい、その繰り返しが十年になった。
その時間の終わりに、退職金として残った金額はゼロだった。
分かっていたことと、実際にその立場になることは、同じではなかったのかもしれない。
だからといって、退職を後悔しているわけではない。
一度しかない人生を、身体が動くうちに自分のために使いたい。そう考えて退職を選んだ気持ちは、今も変わっていない。
ただ、後悔していないことと、お金の不安がないこともまた、同じではなかった。
退職金はない。次の仕事も決まっていない。失業保険を受け取れる期間には終わりがあり、年金を受け取るまでには、まだ時間がある。
退職金がゼロであることよりも、私が本当に向き合わなければならなかったのは、その先に続く時間だった。
第二章 年金までの時間
退職後、私の収入は失業保険へ変わった。
ひと月に受け取れる金額は約十二万円。受給期間は約二百四十日だった。
八か月ほど収入が続くと考えれば、退職した翌日からすぐに生活できなくなるわけではない。
それでも、失業保険は給料とは違う。受け取れる期間が、最初から決まっている。
約二百四十日が過ぎれば、その収入は終わる。
私は六十歳から年金を受け取るつもりでいたが、退職したのは五十八歳だった。失業保険が終わったあとも、年金の受給開始までは時間が残る。
退職前、その空白を考えなかったわけではない。
ただ、当時の私は、自分の生活費をひと月十五万円から十八万円ほどだろうと大まかに考えていた。家賃や光熱費、食費、通信費など、毎月支払っているものは分かっていたつもりだったが、すべてを合計した数字ではなかった。
失業保険が月約十二万円なら、生活費が十五万円でも毎月三万円が足りない。十八万円なら、不足するのは六万円になる。
退職金もないため、その差額をまとまったお金で補い続けることもできない。
そう考えると、約二百四十日という時間は、長いようで決して長くはなかった。
だからといって、退職を取り消すことはできない。もう一度、以前と同じ働き方へ戻りたいとも思わなかった。
必要だったのは、「何とかなる」と自分に言い聞かせることではなく、何にいくら使っているのかを確かめることだった。
十五万円から十八万円という曖昧な数字のままでは、何を見直せるのかも、これからどれだけ働けばよいのかも分からない。
退職金がない現実は変えられない。
けれど、これから必要になるお金なら、自分で確かめることができる。
私は、不安をただ眺めるのではなく、自分の暮らしを数字で見直すことにした。
第三章 暮らしが変われば、必要なお金も変わる
退職前の私は、自分の生活費を月十五万円から十八万円ほどだと思っていた。
しかし、実際の支出を振り返ると、月十八万円から、多い月には二十三万円ほど使っていた。
自分で考えていた金額より、はるかに多かった。
それでも暮らしてこられたのは、毎月の給料に加えてボーナスがあったからだった。月々の支出が膨らんでも、まとまった収入で補うことができたため、自分が一か月にいくら使っているのかを正確に捉えていなかった。
当時は仕事をしていたため、洋服や化粧品にも今よりお金がかかっていた。
仕事帰りには、二日に一度ほどスーパーへ寄っていた。必要なものを買うだけのつもりでも、店へ行く回数が増えれば、そのたびに予定していなかったものまで手に取る。
振り返ると、この小さな買い物の積み重ねが、支出を押し上げた大きな原因の一つだった。
車を所有するためのお金も必要だった。
さらに、当時は息子との完全な二人暮らしだったため、現在とは光熱費のかかり方も違っていた。
そうした支出を一つずつ見直し、退職後の生活費は、まず月十七万円ほどまで下がった。
けれど、失業保険として受け取れるのは月約十二万円である。以前より支出を減らしても、まだ毎月五万円ほど足りなかった。
そこで終わりにはできなかった。
退職後は仕事へ着ていく洋服を頻繁に買う必要がなくなり、化粧品にかける金額も大きく減った。車も持たなくなった。スーパーへ立ち寄る回数が減ると、何となく買っていたものも少なくなった。
息子は仕事で家を空ける期間が長くなり、実際の暮らしもほぼ一人になった。それに伴い、光熱費を含めた家計の形も、完全な二人暮らしだった頃とは変わっていった。
現在の生活費は、月十万円から十一万円前後に収まっている。
月十八万円から二十三万円使っていた頃と比べれば、大きな違いだった。
ただ、私は何もかも我慢して、無理に十万円へ押し込めたわけではない。
仕事を辞め、車を手放し、買い物の仕方が変わり、息子との暮らし方も変わった。必要なものを選び直していった結果、暮らしに必要な金額そのものが小さくなったのだ。
退職前の生活をそのまま続けようとすれば、失業保険の約十二万円では足りなかった。
けれど、収入が減ったからといって、以前と同じ暮らしを小さな金額へ無理に押し込む必要はなかった。暮らし方が変われば、必要なお金も変わる。
退職金はゼロだった。
それでも、自分がどのように暮らすかまで、ゼロという数字に決められたわけではなかった。
第四章 仕事を変えたのは、これが初めてではなかった
これからの収入を考える中で、私は以前にも仕事を変えたことを思い出していた。
事務の仕事を始める前、私は六年間、アパレル販売の仕事をしていた。
販売の仕事そのものが嫌だったわけではない。しかし、当時はまだ子どもが小さく、土曜、日曜、祝日に休める働き方を必要としていた。
アパレル販売では、多くの人が休む日ほど店が忙しくなる。子どもとの時間を考えると、このまま同じ働き方を続けることは難しかった。
そこで私は、四十三歳のときにアパレルの仕事を辞めた。
次に目指したのは、土曜、日曜、祝日に休める事務職だった。
ただし、当時の私には事務の経験がなかった。経験のないまま求人へ応募しても、採用される可能性は低い。仕事を変えたいという気持ちだけでは、次の職場へ進めないことも分かっていた。
私はハローワークの支援を受け、パソコン学校へ通うことにした。
仕事を辞めてから学び直し、事務職に必要な資格を取得した。それまで経験のなかった分野へ進むために、まず自分に足りないものを身につけようと考えたのだ。
学校を修了したあと、役所関係の事務職へ応募した。
何か所も受け続けた末の採用ではなかった。最初に応募した一か所で採用が決まり、私は未経験だった事務の仕事を始めることになった。
その後、国の機関で事務の仕事に三年間携わった。
任期満了で退職したあと、別の公務領域の事務職へ移り、そこで約十年間働いた。
振り返れば、私は最初から事務の仕事ができたわけではない。
子どもとの時間を守るために働き方を変えようと決め、仕事を辞めて学校へ通い、資格を取った。そうして初めて、販売とは異なる仕事へ進むことができた。
四十三歳の私は、未経験であることを理由に諦めなかった。
だからといって、五十八歳の再就職も同じように進むとは思っていない。年齢も、求人の状況も、十五年前とは違う。
それでも、何も持たないところから仕事を変えた経験は、私の中に残っていた。
退職金という形では残らなくても、働き方を変えるために自分で動いた経験まで、なくなったわけではなかった。
第五章 五十八歳の再就職
四十三歳のとき、私は未経験から事務職へ移ることができた。
仕事を辞め、パソコン学校へ通い、資格を取得したあと、最初に応募した職場で採用された。その経験だけを見れば、五十八歳になった今も、動けば次の仕事が見つかるように思えるかもしれない。
けれど、十五年前と現在を同じようには考えていない。
今のところ、私は退職後に求人へ応募していない。
失業保険を受け取っている間に、これからの暮らしと働き方を考え、受給期間が終わったあとにアルバイトを探す予定でいる。
次の仕事は、事務職だけにこだわっていない。
これまでの経験を生かせる仕事が見つかればよいが、職種を一つに絞れば、応募できる求人はさらに少なくなる。今は仕事内容だけでなく、無理なく続けられるかどうかも大切にしたいと考えている。
働き方については、息子の扶養に入ることを考えているため、扶養の範囲内を希望している。
収入を増やすことだけを優先するのではなく、暮らしとの釣り合いを考えながら働きたい。以前のように、仕事を中心に一日を組み立てる生活へそのまま戻るつもりはない。
ただ、希望する条件で仕事を探すことが簡単ではないことも分かっている。
一つは、五十八歳という年齢である。
もう一つは、車を持っていないことだった。
北海道では、通勤に車が必要な職場も少なくない。仕事内容や勤務時間が希望に合っていても、車がなければ通えない場所は、最初から応募先の候補から外れる。
年齢に加えて、通勤できる範囲も限られるため、選べる仕事はさらに少なくなる。
だから私は、「何とかなる」と簡単には言えない。
まだ求人へ応募していない以上、採用されるとも、希望どおりの仕事が見つかるとも断言できない。五十八歳の再就職について、私はまだ結果を持っていない。
それでも、仕事が見つからないと決まったわけでもない。
四十三歳のときには、子どもとの時間を守るため、経験のなかった事務職へ進んだ。五十八歳の今は、これからの暮らしを守るために、職種だけにこだわらず、扶養の範囲内で続けられる仕事を探そうとしている。
十五年前と同じ働き方を目指すのではない。
今の自分に合う働き方を、もう一度選び直そうとしている。
第六章 これからの暮らしを組み立てる
退職後の収入を考えたとき、アルバイトとは別に、私には続けていきたいものがあった。
ブログだった。
ブログを始めたときから、いつか収入につながればという思いはあった。
退職後の出来事や、公営住宅での暮らし、実際にかかっている生活費を書く。それが同じような不安を抱える誰かの役に立ち、少しずつブログを育てていけたらと考えていた。
ただ、この原稿を書いている時点では、ブログからの収入はない。
記事を書けば、すぐに収入が生まれるわけではない。続けていれば必ず結果が出るとも言い切れない。
それでも、一つの記事を書き終えるたびに、ブログの中には自分が経験してきたことが少しずつ残っていく。
退職した日のこと。
公営住宅で暮らし始めたこと。
生活費を見直し、自分に必要な金額を知ったこと。
それまで自分の中だけにあった経験が、文章にすることで、同じような不安を抱える人に届けられるものへ変わっていく。
五十八歳で仕事を探すとき、年齢を変えることはできない。車がないため、通える職場にも限りがある。
一方、ブログは自宅で続けることができる。通勤する必要がなく、これまで歩いてきた時間そのものを文章に変えていける。
だからといって、ブログだけで生活していけると思っているわけではない。
失業保険の受給が終わったあとは、息子の扶養の範囲内で働けるアルバイトを探す予定でいる。その暮らしの中で、ブログも少しずつ育てていきたい。
私が望んでいるのは、ブログで大きな収入を得て、贅沢な暮らしをすることではない。
五年後、六年後、年金を受け取りながら暮らすようになったとき、小遣い程度でも年金の足しになる場所へ育っていてほしい。
今すぐ結果を出すのではなく、時間をかけて記事を積み重ねていく。そのために、退職後の今から続けている。
以前の私は、一つの職場から給料を受け取ることで生活を守ってきた。
これからは、生活費を整え、無理のない範囲で働きながら、ブログも続けていく。どれか一つにすべてを任せるのではなく、いくつかの方法を組み合わせて暮らしていこうと考えている。
退職金がないことは、最初から分かっていた。
それでも、退職したあとに続く時間まで、はっきり見えていたわけではなかった。
ブログがこれからどのような場所へ育っていくのか、今の私にはまだ分からない。
けれど、答えが出ていないからこそ、自分で考えながら一つずつ形にしていきたい。
退職金として残るお金はなかった。
その代わりに私は、これからの暮らしを、今の自分に合う形で組み立て始めている。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
人生は、大きな出来事だけで変わるものではありません。
何気ない一日が、人生でいちばん大切な一日になることもあります。
この物語が、あなた自身の「これから」を見つめる時間になれば幸いです。


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