退職日当日
いよいよ、その当日を迎えました。
窓の外は、あいにくの「雨」。
本当は、少しくらい晴れていてほしかった。
車を降り、職場へと向かう。
何度も繰り返してきたこの光景も、今日が最後。
二度と訪れることのない「最後の出勤路」だと思うと、胸の奥が、じわりと重くなりました。
私は周囲に退職日をあえて公言していませんでした。
「あわよくば、誰にも気づかれずそっと職場を離れたい」――そんな風にさえ思っていたのです。
課長も私のそんな願いを汲み取ってくれていました。
「最後のご挨拶、自分の課だけで小さい声で呼びかけますからね」
そう言ってくれていたはずでした。
ところが、いよいよその時。
課長の口から出たのは、フロア中に響き渡るような大きな、大きな呼びかけでした。
その合図とともに、自部署のメンバーが一斉に起立します。
その動きは隣の部署にまで波及し、気づけば100名近い視線が、私一人に注がれていました。
その瞬間、私の胸に去来したのは「感無量」という言葉だけでした。
つい最近まで抱えていた怒りや苦しみ、葛藤……。
それらすべてが、その一瞬の光景で解き放たれていくのを感じて、涙が溢れて止まりませんでした。
用意していた言葉がありました。
「10年間、こちらで多くのことを学ばせていただきました。時には、私一人の力ではどうにもできないような厳しい状況も、眠れないほど悩む夜もありました」
ですが、そんな文章は、もう口にすることができません。
ただひたすらに、絞り出すように伝えました。
「長い間、本当にお世話になりました。ありがとうございました」
ありきたりで、何のひねりもない言葉。
でも、あの瞬間に出せたのは、それだけでした。
……ですが、その時の私は別の意味でも焦っていました。
(どうしよう……お菓子の数が、全然足りない……!)
「そっと辞める」つもりで用意していたお菓子の数と、目の前に広がる100人の視線。
そのギャップに、頭の中は真っ白です。
けれど、もう時すでに遅し。
私の退職をこの瞬間に初めて知ったという、仲の良かった同僚たちが、目を丸くしてこちらを見ています。
私はせめてもの思いで、目が合った方々に、残り少ないお菓子を一つずつ手渡していきました。
「今日、退職だったの!?」と驚く彼らの顔。
感謝を伝えきれないまま、お菓子はあっという間になくなっていきました。
なんとも歯切れが悪く、スマートとは言い難い幕引き。
思い描いていた「静かな退職」とはほど遠い、ドタバタとした最後の一幕でした。
今、自宅でこうしてブログを書きながら、
「もっと気の利いたことが言えたはず」
「お菓子、もっと準備しておけばよかった」
そんな反省ばかりが浮かんできます。
けれど、あの時、あの場所で、100人の視線の中で流した涙と、あの一言。
それこそが、私の嘘偽りない「10年間の結び」だったのだとも感じています。
明日からは、もうあそこへ通うことはありません。
雨が上がれば、新しい一歩。
「ひとり、凛と」生きていく物語の、これが本当のプロローグなのかもしれません。
| ― 明日は会社へ行かない朝 明日からは、朝起きたらゆっくりストレッチをし、 朝の空気を感じながらコーヒーを飲んで、 ブログの構成を練ることから始めます。 |
退職して終わりではなく、そこから「自分の人生」が始まるのだと感じています。
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