第一章 すでに始まっていた変化
退職の日が近づくにつれ、私の中で起きていた変化は、言葉の受け止め方だけではなく、暮らしの中にも現れ始めていた。
長かった髪を切り、明るい色に染めたこと。
退職後に受け取る失業保険や、健康保険について調べ始めたこと。
そして、さらに二年前。
公営住宅への入居をきっかけに、両親から贈られた婚礼タンスを手放したこと。
起きた時期は、それぞれ違う。当時は、一つひとつ別の出来事だと思っていた。
けれど今振り返ると、そのすべてが一本の道につながっている。
私は少しずつ、これまでの人生に必要だったものと、これからも持ち続けたいものを分け始めていたのだ。
それまでの私は、我慢することに慣れていた。
遅くに授かった三番目の子を、ひとりで育ててきた。
生活のため、お金のため、そして子どもを守るため。
職場で何を言われても、自分にそう言い聞かせながら働いてきた。
我慢して、頭を下げて、それでも次の日になれば、また仕事へ行く。
それが私の日常だった。
退職を決めたあとも、私はまだ職場に通っていた。
何も終わってはいない。
それでも、これまで当たり前のように抱えてきたものを、私は少しずつ手放し始めていた。
第二章 オレンジ色の髪
退職まで残り三週間となった頃、私は美容室の予約を入れた。
肩より長く伸びた、まっすぐな髪。
心機一転したくて、切ることに決めた。
どのような髪型にするかまでは決めていなかった。美容師さんと相談しながら、自分に似合う形を選んだ。
その日の予約は、カットだけだった。
美容室から帰ったあと、今度は自分で髪を染めた。
選んだ色は、オレンジ。
それまでの職場では、派手な髪色は禁止されていた。
髪を染めたいと思っても、自分の好みより先に、職場の決まりを考えなければならなかった。
けれど、私はもうすぐそこから離れる。
だから、自分が好きだと思う色を選んだ。
鏡の中には、理想の髪型と、明るいオレンジ色の髪をした私がいた。
私は、相当浮かれていた。
職場へ行くと、すぐに声を掛けられた。
「今回の髪型、似合っていますね。どんな心境の変化ですか」
「わあ、素敵」
髪を切り、色を変えただけだった。
けれど、私にとっては、それだけではなかった。
自分が好きだと思う髪型を選ぶ。
好きな色に染める。
そんな当たり前のことさえ、それまでは職場の決まりを気にしながら選んできた。
退職日までは、まだ三週間あった。
それでも鏡の中の私は、少しだけ未来を向き始めていた。
第三章 両親から贈られた二つの婚礼タンス
何かを手放す経験は、退職が初めてではなかった。
二年前、公営住宅へ入居した日、私は三十年間使ってきた二つの婚礼タンスを手放している。
両親から婚礼祝いとして贈られた、大きなタンスだった。
新しい住まいでも、これまでと同じように使うつもりでいた。
ところが、業者はタンスをばらさずに運んだため、部屋まで入れることができなかった。
入らないのなら、手放すしかない。
頭では分かっていた。
それでも、すぐには決められなかった。
私にとって、それはただの家具ではなかった。
今は亡き両親から贈られた、大切な思い出だった。
タンスを手放せば、両親との思い出まで失ってしまうような気がしていた。
引っ越し当日、私はなかなか決断できずにいた。
けれど、ふと思った。
両親との思い出は、タンスの中にあるのではない。
私の心の中に残っている。
そう思えたとき、三十年間、私の暮らしを支えてくれたタンスに感謝して、別れようと決めた。
処分費用は安くしてもらい、二つで五千円だった。
タンスがなくなった部屋は、驚くほど広く感じられた。
私はそこで初めて、これまでどれほどの空間をタンスに渡していたのかを知った。
しかし、広くなった部屋には、今度はタンスから出した大量の洋服が積み重なっていた。
まず、しばらく着ていない服から手放した。
残った服も一着ずつ着てみた。すると、今の自分には似合わないものや、これから先も着ることはないと思うものが、少なくなかった。
気づけば、手元に残った洋服は驚くほど少なくなっていた。
それでも、不思議なくらい困ることはなかった。
むしろ、部屋も心もすっきりしていた。
婚礼タンスを手放しても、両親との思い出は消えなかった。
洋服を減らしても、暮らしに困ることはなかった。
今振り返ると、あの日が私にとって、終活の始まりだったのかもしれない。
物を持ち続けることだけが、大切にすることではない。
思い出は心に残し、役目を終えた物には感謝して別れる。
私は二年前、手放すことは失うことではないと、暮らしの中で教えられていた。
あの日、大型の婚礼タンスを手放すまでの迷いや、実際の処分方法、手放したあとの暮らしの変化については、別の記事にまとめています。
第四章 一度決めたことも、選び直していい
オレンジ色の髪に浮かれていた私にも、退職後のお金に対する不安はあった。
年金を受け取る年齢には、まだ届いていない。
退職金もない。
仕事を辞めれば、毎月入ってきた給料もなくなる。
退職前、私はまず失業保険について調べた。
いくら支給されるのか。
その金額で、当面の生活を続けられるのか。
ノートに書き出したわけではない。
調べた金額を見ながら、頭の中で何度も考えた。
失業保険があれば、何とか生活していける。
そう思った。
次に悩んだのが、退職後の健康保険だった。
それまで加入していた共済保険を任意継続するのか。
国民健康保険へ切り替えるのか。
当時調べたところ、私の場合は国民健康保険のほうが高かった。
そのため、共済保険の任意継続を選んだ。
それが絶対に正しいという確信があったわけではない。
そのとき分かっていたことを比べ、自分なりに出した答えだった。
退職から二か月ほど経った頃、雇用保険受給資格者証を確認したことで、私が国民健康保険料の軽減制度の対象になると分かった。
そこで私は、任意継続から国民健康保険へ切り替えた。
その結果、保険料は月額約六千円まで下がった。
最初に選んだ任意継続が、間違いだったとは思わない。
あのときの私は、あのとき分かっていたことの中から選んだのだ。
けれど、新しいことが分かったあとまで、最初の選択にこだわり続ける必要はない。
違うと分かったなら、選び直せばいい。
ここでも私は、一度決めたことを手放していた。
何かを手放すのは、物だけではない。
過去の自分が出した答えに縛られず、今の自分に合う答えを選び直すことも、手放すことなのだと思った。
実際に私が国民健康保険料の軽減制度を知り、任意継続から切り替えるまでの経緯や、年間でどのくらい保険料が変わったのかは、別の記事にまとめています。
退職後の健康保険で悩んでいる方は、こちらも参考にしてみてください。
第五章 空いた場所に残ったもの
長かった髪を切り、好きな色に染めた。
両親から贈られた婚礼タンスを手放し、これからも着たいと思う洋服だけを残した。
一度選んだ健康保険も、新しいことが分かったあとで選び直した。
起きた時期も、手放したものも違う。
それでも、そのたびに私は、何かを失うことへの怖さと向き合っていた。
婚礼タンスを手放せば、両親との思い出まで失ってしまうのではないか。
洋服を減らせば、あとで困るのではないか。
一度決めたことを変えれば、最初の判断が間違いだったことになるのではないか。
けれど、実際に手放したあと、失ったと思うものは何もなかった。
婚礼タンスがなくなっても、両親との思い出は心に残った。
洋服を減らしても、暮らしには困らなかった。
健康保険を切り替えても、最初に悩んで決めた自分まで否定されるわけではなかった。
手放す前の私は、なくなるものばかりを見ていた。
けれど、手放したあとに見えたのは、それでも残っているものだった。
両親との思い出。
三十年間、暮らしを支えてくれたタンスへの感謝。
自分が好きだと思える姿。
そして、そのときの自分に合う答えを選び直していく力。
長い間、私は守ることを優先して生きてきた。
子どもを守るために、生活を守るために、自分の気持ちを後ろへ置くことにも慣れていた。
だからこそ、持ち続けることが、守ることだと思っていたのかもしれない。
けれど、本当に大切なものは、形を手放したくらいではなくならなかった。
手放した先に残ったのは、空っぽの部屋ではない。
これまでの人生を支えてくれた思い出と、これからも大切にしたいと思えるものだった。
私はようやく、なくなるものではなく、残ったものを見つめられるようになっていた。

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